2016/3/25金曜日 石垣島旅行 二日目!
朝ごはんは、フサキリゾートビレッジの朝食バイキング!
ここでもめっちゃうまいもんに出会いました!
ピリ辛ゴーヤ(手前の赤みのある漬物)
黒糖づけ大根(おくの黄色いたくあん的なもの)
この二つの最強な漬物!
朝食はほぼこれしか食べていない!
八重山そばもあったけど、なんかもっちりしすぎてあまりわしは好みではなかったなー。
朝食を食べ終え、昨日の川平湾の海中を見ながら動く船、グラスボートが出港できるかどうかすぐに確認をとったところ!今日は出港ですとの事で、天候が悪くなっては遅いのですぐに出発!
そしてやっと!
川平湾の海中の魚を見れる、グラスボートへ!
この写真見てください!
リアルに海にこういう可愛い生き物っているんですね!
スポンサードリンク
やっと信じれました。
ニモって本当にいるんだ!
そしてこの写真の中に写っているサンゴ礁が青く光っていますね、これでこ
こら辺の海の色の原因となるものがわかりました。
青く発光しています、不思議ですね!
ここの動画を撮ってきましたのでまとめてみました!
去年、わしが作った曲で舞台のメインテーマにもなった曲にのせてどうぞ!
船に乗って海底を見ること30分ぐらいですね、この石垣島のメインといえる最高に美しい世界を堪能したところで、
実際はダイビングをして魚と触れ合う!この気持ちが募ってきますよね!
ここが一番の醍醐味!マンタと出会う!ですが、前回言ったとおり天候が悪い...
風もやばいぐらい吹き荒れているため、海に入れないことが多いとの事。
そもそも現在の石垣島の気温が低い!
今回の石垣島の二つ目のメインはあきらめる事にしよう!
であれば、天候が悪くても行ける所を行ける所まで行ってやろうじゃないの!
まずは、
「ガラス工房のPONTE」
のお店を15時あたりに予約しておきました!
琉球ガラスでオリジナルのグラスを作ることができるとの事!
そしてまだ15時までには時間があるので、近場っていっても小さい島なのでほとんどが近場なんだけど...
石垣鍾乳洞ヘ行きました。
入り口に羊が出迎えてくれました。
羊ってこんな間抜けな泣き声だったっけ?
羊には悪いですがちょっと笑ってしまいました。
この山羊、「何してんの?」とさも言ってそうな一枚。
鍾乳洞の中はモンゴルからの観光客で賑わっていましたが......
最初は、すごいインディージョーンズみたいー!
って言いながらはしゃいでいましたが、正直鍾乳洞の中は湿気でむわっ
としていて、暑い....
すぐ終わるだろうと思っていたが、かなり長い!!!
入り口から1/3で飽きていました.....。
南の島へ来て、海じゃなくて洞窟探検か...という残念な気持ちもあった
せいで少し悔しい気持ちになりました。
そして今日の昼食は、本気の八重山そばを食べたいということで、人気
のお店へ
「来夏世ーくなつゆー」
市街の中にあり、駐車場も小さいところでした。
とその前に、お腹もそんなに空いていなかったので、少し街中を見よう
としたところ!
港にめちゃくちゃでかい豪華客船が止まっているではありませんか!?
ちょっと見に行こうと車をそこまで走らせました!
なんとそこには!
「コスタビクトリア」
豪華客船ですね!いわば現代のタイタニック!
めっちゃでかい!調べたら全長252.9m 全幅32.2m
恐るべし!一度はこういうの乗ってみたい!
外からしか撮れなかったけど、すごい威圧感....
はい、そしてお腹が空いた所で
「来夏世ーくなつゆー」
に到着!
なんだろう、薄味のそばで麺がもちもちしていて焼きそばみたいな食感。やはり、朝食
のバイキングでも感じたが、うまい!って感動はなかった。
普通だった。
スポンサードリンク
カメラを購入すると、別に今まで花なんて見向きもしなかったのに、いきなりカメラを
買ったから撮ってみる的な雰囲気で撮ってみた。
我ながらすばらしい出来だ!すべてはα5000のおかげだね!
このお店の近辺は住宅街だったので撮ってみた!
この四角い二階建ての家のパターンもかなり多かった。
後は、右の壁に絵が描かれている。ここは小学校らしいが、壁に絵を描
いたり、お店の看板も同じように描いていたのが気になった。
その絵もやはり日本っぽくなく、どこか台湾のような雰囲気も混ざっている
ような気がした。
台湾から近いからなのだろうか。
お店の場合は歴史がある所は絵がはがれかけてきている所もあったが、ここの
島の基本なのだろう。
お昼ごはんを終えたら、まだ時間があったので天文台にいきました。
行っても、星が見れるわけではないですが、天文台の望遠鏡の説明だけ聞けると
いう、無料なので行ってみた。
うむ、星が見れないんじゃ何も楽しくない。
いわば、「PCがありますよー!どうですか?見た目のフォルムもかっこいいでしょう??
どうですかー?でもこれ、電源つかないんですけどねー!」
と、家電ショップの店員が言ってるのと同じではないか?!
この場をすぐに離れて外にでました!
やはり天文台なので、山の上!景色がやばい!
本当、このままこの景色を持って帰りたい!
写真ではなく、そのまま現実に見れるそんな道具がないかなードラえも~ん!
こういう所で働けるのって、いいですね!
常にこのきれいな海が出迎えてくれる。
最高ですね!
そして、やっとガラス工房 PONTEに行く時間になりました!
PONTEってどうしてもPONTAカードを思い出してしまうのはわしだけでしょうか?
そのPONTEに行く途中にいきなり馬。
普通に口のところを縄で繋がれていました。
なんか元気がない感じでしたね。
また気になったところがありました!
ここです!
1852年2月、厦門(アモイ)で集められた400人余りの苦力(クーリー)が、米国船ロバート・バウン号でカリフォルニアに送られる途中、辮髪(べんぱつ)を切られたり、病人を海中に投棄されるなどの暴行に堪えかねてついに蜂起し、船長ら7人を打ち殺しました。
船はその後台湾に向かいましたが石垣島沖に座礁してしまい、380人が島に上陸。 石垣の人々は仮小屋を建て、彼らを収容しました。
しかし米国と英国の海軍が三回にわたり来島、砲撃を加え、武装兵が上陸してきびしく捜索を行いました。 中国人達は山中に逃亡しましたが、銃撃、逮捕され、自殺者、病没者も続出したとの事です。
琉球王朝と蔵元は人道的に対応、島民も密かに食糧や水を運び、中国人側の被害が少なくするよう配慮したそうです。
その後事件処理に関する国際交渉に取り組んだ結果、翌1853年9月、琉球側が船二隻を仕立て、生存者172人を福州に送還。
中国ではこの事件が契機となって大規模な苦力貿易反対の運動が起こったとの事です。 中国人が埋葬された墓は、あちこちにに点在していたそうですが、石垣市がこれらを合祀慰霊するため、台湾政府、在琉華僑の支援もうけて、この唐人墓を1971年に完成させたそうです。
非常に悲しい歴史ですね。
こんなきれいな場所なのに。
その隣にはこういうのも
喜舎場永珣 きしゃば-えいじゅん
(1885―1972)
これは名前だったんですね!
沖縄研究者。とくに八重山(やえやま)研究の開拓者として知られる。明治18年7月15日、八重山諸島石垣島に生まれる。沖縄県師範学校に学んだのち教師となったが、伊波普猷(いはふゆう)、柳田国男(やなぎたくにお)らの影響もあって郷土研究の必要性を自覚、八重山研究に着手した。1932年(昭和7)には校長の職をなげうって研究に専念し、郷土八重山から一歩も出ずに調査に飛び回った。『八重山歴史』(1954)、『八重山民謡誌』(1968)などの著作があり、大著『八重山古謡』(1970)は71年度柳田国男賞を受賞した。昭和47年4月2日死去。
すばらしい!そして今があり観光地になったんですね!
近く咲いていた花、やはり南国なので派手な色の花多いですね!
そして琉球ガラスを使った、グラス作りのお時間になりましたので、
ガラス工房PONTE の工房に入りました。
まず先に机の上でいろんなガラスの色を並べます!わしはシンプルに黒と白、
そして、石垣の海の色をイメージしたエメラルドグリーンをいれました。
鉄の棒の先にどろっとしたガラスがついていて、鉄の棒の先から吹いて、膨らま
したり、たたいたり。非常に面白かった!
できばえは、母にこれも送ったのでいまだに不明です。
写メほしいな。
オリジナルのグラスを作り終えた後、今晩の晩飯!
友人にめっちゃうまい石垣牛肉を食べれるところを聞いたところ。
ここ
「金牛」
上カルビでも油はそんなになく、さっぱりしていて食べやすく、めっちゃうまかった!
そしてお肉をたらふく食べた後はぐっすり幸せに眠りました。
眠る前に、現地のローカルニュースを見てるとアナウンサーまで方言なのか訛っ
ていました。面白かったですね。丁寧な言葉なんだけど訛っている。
わしの地元広島もそうじゃの、ローカル番組になると広島弁でしゃべるけんのー。
後半からその先へ続く
スポンサードリンク